みかづき / 森絵都

あらすじ(Amazonから引用)

昭和36年。放課後の用務員室で子供たちに勉強を教えていた大島吾郎は、ある少女の母・千明に見込まれ、学習塾を開くことに。この決断が、何代にもわたる大島家の波瀾万丈の人生の幕開けとなる。二人は結婚し、娘も誕生。戦後のベビーブームや高度経済成長の時流に乗り、急速に塾は成長していくが…。第14回本屋大賞で2位となり、中央公論文芸賞を受賞した心揺さぶる大河小説、ついに文庫化。」

 

ストーリーの話

素晴らしかった。読み始めた当初は、登場人物たちが個性的で、言動もドラマじみていて、映像化向けだと思っていたが、森絵都はやはり小説が上手かった。

一つは話の裏切り方。主人公は決して清廉潔白ではない。教師という言わば「聖職」である主人公をある意味人間らしくする「裏切り」の展開を最初からかましてくれる。

それと展開の速さ。Kindleでは小説の何パーセントくらい読んだかが表示されて一目でわかるのだが、感覚と話の進み方のズレがすごい。

読みながら、「まだこれだけ?」から「もう終わってしまう…」への自分の気持ちの移り方がはっきりとわかる。

あとは盛り上げどころの作り方。何回泣くかと思ったわ。家族の大河小説の書き方が抜群に上手いと思った。親の歩んだ道と自分の歩んだ道が僅かながらに重なる瞬間、妻と娘、親と自分、そういった家族の縦の繋がりを登場人物たちが時間を超えて感じる瞬間に盛り上がりを持ってくるやり方が本当に素晴らしい。最初はドラマみたいだと思っていたが、こういう盛り上げ方は小説ならではで、やはり森絵都は小説が上手いと思う。

 

 

教育と塾の話

作中でこんな言葉が出てくる。

「(前略)学校教育が太陽だとしたら、塾は月のような存在になると思うんです。太陽の光を十分に吸収できない子どもたちを、暗がりの中で静かに照らす月。」

この本を読むまで、塾というものをあまり深く考えたことがなかった。

この本はある家族の大河小説であると同時に、日本の塾と学校教育の歴史を書いた本でもある。塾と学校教育の関係、文部省との関係、政策と政治にどこまでも振り回される教育者と教育の当事者である子供たち。戦後五十年にわたる日本の教育はたしかに、いつの時代も批判にさらされてきたのだろう。しかしそれはいつの時代もそれを良くしようと努力する人がいたことの裏返しでもあると思う。国の根幹を支え、宝である子供の将来を作るために不可欠なものが教育であり、それに人生を捧げる教員や塾講師には、頭が下がる。

 

自分の話

そもそも私は習う立場で塾に行ったことがない。行く必要がなかったとか、経済的に〜とか、そういうことではなく根本的に生まれ育ったところに塾が無かった。ただ私自身勉強のモチベーションに困ったことはなかったし、親は私の勉強にも一切の口出しはしなかった。わからないことは学校の先生に聞いて、それに答えてもらえる環境の中にあった。本当に恵まれていたと思う。

塾に携わったのは、大学生になってアルバイトとして教える側の立場になってからだった。私が働いていたのはいわゆる進学塾ではなく補習塾(というか個別指導)だったが、親に無理矢理塾に行かされた、勉強がわからないし嫌いな子どもたちと、教育の素人でろくに研修も受けていない大学生アルバイト、子供の成績を伸ばすよりも教室の売り上げのことで精一杯な教室長が集う空間だった。そこには教育とビジネスという簡単には相容れない二つの図式があり、落ちこぼれる子はとことん落ちこぼれる教育の問題点があった。私もやはりたかがアルバイトという考えで熱意もそこそこに塾講師をやっていたし、そんな図式にも気付かず、問題点も見て見ぬ振りをした。補習塾の塾講師なんて簡単に手を出すものではなかったのだろうか。あの時私が教えていた子どもたちの顔は思い出せるけど、もちろん彼らが今どんな進路を歩んでいるのかは知る由もない。

 

森絵都の話

森絵都は私が人生で一番最初にハマった作家だ。中学生のとき、おそらく最初に読んだ作品は「リズム」と「ゴールドフィッシュ」だった。当時の森絵都ヤングアダルト作家で、ちょうど中学生だった我々にどんぴしゃだったような気がする。そんな森絵都さんも「風に舞い上がるビニールシート」で直木賞を取り、今は一般文芸で活躍している。自分が本にハマるきっかけを作った作家が今でも第一線で活躍しているのは嬉しい。

オススメは「つきのふね」「カラフル」「風に舞い上がるビニールシート」です。「永遠の出口」も良かったと思うけど、私自身読んだのが中学生のときなので、もう一回読み直したいなと思っている。